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横浜地方裁判所 平成7年(ワ)1369号 判決 1998年9月25日

原告

X1

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

黒田陽子

関博行

被告

甲野産婦人科医院こと

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

平沼高明

堀内敦

加々美光子

小西貞行

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告X2に対し、金三五四七万九八四七円及び内金三二四七万九八四七円に対する平成七年五月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告X1に対し、金三五三五万八八五七円及び内金三二三五万八八五七円に対する平成七年五月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告X3に対し、金一〇五万四三七〇円及びこれに対する平成七年五月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告X2(以下「原告X2」という。)は、昭和六三年一二月二四日、原告X1(以下「原告X1」という。)と婚姻し、長男一郎(平成元年八月三日生)をもうけた後、平成五年七月二日(以下、特に断らない限り、暦日の記載は平成五年の当該日を指す。)、双胎の第一子である二男A(以下「亡A」という。)と第二子である三男X3(以下「原告X3」という。)を出産したが、亡Aは、後記のとおり、七月四日に死亡した。

(二) 被告は、肩書住所地において甲野産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開設している産婦人科医師である。

2  診療契約の締結

原告X2は、一月六日、自宅近所の被告医院を訪れて被告の診察を受け、妊娠五週六日と診断され、夫の原告X1と共に、被告との間で、出産に伴う診療契約を締結した。

3  亡Aの死亡に至るまでの経緯

(一) 被告は、右初診の際、原告X2に対して毎月一回程度診察を受けるように指示し、一月三一日の診察の際、双胎であると診断した。以後、被告は毎月一回程度原告X2を診察し、五月二四日の診察時には、同人に対し、子宮口が開いてきているので手術しないと駄目かもしれない、あと一か月様子を見ようと説明した。

(二) 六月二六日、被告は、原告X2を診察した際、同人に対して、頸管縫縮術を行う必要があること、これは子宮口を縛るだけですぐ終わる手術であること、生まれるまで一日でも長く子宮内に胎児を置いた方が良いことなどを説明した上、手術後三泊入院するだけであるから、身の回りの品を持ってくるように同人に指示したが、それ以上手術の詳しい内容は説明しなかった。

(三) 六月三〇日午前一〇時ころ、被告は、原告X2に全身麻酔をかけ、シロッカー法による頸管縫縮術を実施した。同日午後一時ころ、原告X2は意識を回復したが、腹痛を覚え、巡回中の看護婦にその旨告げたが、何の説明も指示もなくそのまま放置された。同日午後二時ころ、原告X2は二階の病室に歩いて移動させられたが、その後同日夕方まで、被告も看護婦も回診を行わなかった。同日夕方、原告X2の腹痛が激しくなり、その旨被告医院の看護婦に告げ、点滴を受けたところ、その後、息苦しさを訴え、同日午後一一時ころ、呼吸困難に陥り、酸素吸入を受け、この間、腹痛も継続していた。

(四) 七月一日午前二時ころ、原告X2は吐き気を覚え、点滴の瓶を持ちながら一人で廊下の奥にある便所に行き大量に吐いた。同日の昼ころから、原告X2の熱が上がり、腹痛も続いていたが、被告は、前日の手術以降回診を実施せず、原告X2を放置していた。同日の夕方、被告が手術後初めて回診を行い、前記手術の際に詰めていたガーゼを取り出したが、この際消毒等の処置は一切行わなかった。

(五) 七月一日午後一〇時五〇分ころ、原告X2はベッドの上で破水した。原告X2が看護婦を呼ぶと、応急処置もなく、そのまま歩いて一階の部屋に移動させられ、被告が到着するまで一〇分以上の時間が経過した。被告は、このとき応急処置も診察もせず、原告X2に他の病院に行ってもらうと告げ、電話で他の病院と連絡を取り始めたものの、積極的に受入れを要請している様子ではなかった。

(六) その後、B病院から原告X2を受け入れるとの連絡が入り、七月二日午前一時五〇分ころ、原告X2を搬送するための救急車が到着した。右救急車の到着後、被告は、「ほどいて来いだと、自分でやりゃいいのに。」などと言いながら、手術着も着ず、煙草を吸って消毒もしていない手で、麻酔をかけることもなく、原告X2の頸管縫縮術部位の抜糸をした。原告X2は、このとき激しい痛みのため悲鳴を上げた。抜糸後、被告は、救急車に同乗し、B病院に原告X2を搬送した。原告X2の破水後、被告により抜糸以外の特段の処置はとられず、側仰安静が必要なはずであるのに、一階の部屋に移動する際、被告の指示によりそのまま歩いたため、搬送時には原告X2の手術着は羊水でべたつく状態になっていた。

(七) 七月二日午前四時ころ、B病院において、原告X2は双子の亡Aと原告X3を出産したが、亡Aは極小未熟児であって、同日午前一〇時ころ、危篤状態となり、七月四日午前一一時四五分、感染症に起因する呼吸窮迫症候群、肺出血により死亡した。

4  被告の責任原因

(一) 被告は、原告X2に対して頸管縫縮術を施行した際、消毒を十分に行い、予防的抗生物質を投与するなどして母体膣内の常在菌に対する対処を怠ったため、まず、原告X2に感染症を生じ、アラキドン酸による子宮卵膜の炎症が起こり、プロスタグランジンにより陣痛を誘発し、その後の破水、抜糸の過程で菌が子宮内に広がり、さらに、胎児の亡A及び原告X3にも感染症を生じさせた。亡Aが肺出血により生後二日目に死亡し、原告X3が七月二日から八月二八日までの五八日間もB病院に入院を余儀なくされたのも、右感染症を原因とするものであるから、被告は、亡Aの死亡及び原告X3の右入院につき、診療契約上の債務不履行ないし医療行為上の過失がある。具体的には、被告は、原告X2に対し、全身的に予防的抗生物質を投与しておらず、また、原告X2に対し頸管縫縮術を施行する前に膣内菌の検査を実施しなかった点においても、感染症の予防策が不十分であったほか、原告X2が、頸管縫縮術の施行後、ベッドの上で自然破水し、側仰安静が必要なはずであるのに、応急処置をされないまま、一階の手術室まで歩いて移動させられており、こうした被告の措置は感染症防止の観点からも適切さを欠いたというべきである。呼吸窮迫症候群による肺出血も、右感染症に複合して発生したものにほかならず、原告X2及び亡Aが感染症に罹患したとの事実を否定する根拠にはならない。

(二) 仮に、亡Aが子宮内感染症に罹患しておらず、その死因が極小未熟児に特有の呼吸窮迫症候群による肺出血であるとしても、その原因は、被告が原告X2に対して時期を失した不必要かつ禁忌の頸管縫縮術、しかも母体に対する侵襲が大きいシロッカー法による手術という物理的刺激を加え、手術後、自然破水して側仰安静が必要なはずの原告X2を一階の手術室まで歩いて移動させた結果、原告X2を陣痛開始と分娩に至らせたことによる。被告は、五月二四日(妊娠二五週四日)の検診時には原告X2の子宮口の開大を認識していたのであるから、頸管縫縮術を施行するとしても、少なくとも二八週以内という適切な時期に手術を施行できたはずであり、また、仮に、原告X2が頸管無力症であることを被告において認識した時期が妊娠三〇週以降であったとしても、妊娠後期の双胎妊娠においては禁忌とされている頸管縫縮術によることなく、入院安静と子宮収縮抑制剤の投与によって対処すべきであり、その方法によれば、前記の機序をたどった亡Aの死亡という結果を回避できたはずである。鑑定の結果が、頸管縫縮術の施行及びその後の被告の措置が原告X2の早産の引き金の一部になったとしながら、早産の主因となったとは認め難いとして被告の責任を否定していることは、論理的に不明確である。さらに、被告は、頸管縫縮術の施行に当たっては、単胎妊娠の場合よりも慎重な事前の措置、すなわち、人工呼吸器等の施設のある大きな病院を紹介するとか、右のような病院に事前に連絡をして問題が生じた場合には直ちに搬送できる体制を整えるなどの措置を講ずるべきであったのに、これをすることなく漫然と右手術を施行した。したがって、被告は、亡Aの死亡につき、前同様の債務不履行ないし過失を免れない。

5  損害

(一) 原告X2の損害

(1) 亡Aの死亡による逸失利益の相続

亡Aは本来一八歳から六七歳まで四九年間は稼動可能であったのに、生後わずか二日で死亡するに至った。平成四年度賃金センサスによる男子労働者の平均年収から生活費五〇パーセントを控除し、新ホフマン係数によって中間利息を控除した亡Aの死亡時における逸失利益の現価を算出すると、左記計算式のとおり四四五九万七七一四円(円未満切捨て)となる。

(計算式)5,441,400×(1−0.5)

×(29.022−12.630)=44,597,714

原告X2は、亡Aの母として、右逸失利益の二分の一に当たる二二二九万八八五七円の損害賠償請求権を相続した。

(2) 治療費

原告X2は、被告の債務不履行ないし過失により、被告医院の入院費用三万九二五〇円相当の損害を被った。

(3) 入院費用

原告X2は、被告の債務不履行ないし過失により、七月二日から同月七日までの間、B病院に入院を余儀なくされ、右入院費用のうち、直接の分娩費用を除く一四万一七四〇円相当の損害を被った。

(4) 慰謝料

原告X2は、亡Aを生後わずか二日で失ったことにより深い精神的打撃を被ったが、これに対する慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。

(5) 弁護士費用

原告X2は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、右報酬として三〇〇万円の支払を約した。

(二) 原告X1の損害

(1) 亡Aの死亡による逸失利益の相続

原告X1は、亡Aの父として、前記(一)(1)と同様、亡Aの右逸失利益の二分の一に当たる二二二九万八八五七円の損害賠償請求権を相続した。

(2) 葬儀費用

原告X1は、亡Aの葬儀費用の実費として六万円を支払った。

(3) 慰謝料

原告X1は、亡Aを生後わずか二日で失ったことにより深い精神的打撃を被ったが、これに対する慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。

(4) 弁護士費用

原告X1は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、右報酬として三〇〇万円の支払を約した。

(三) 原告X3の損害

(1) 入院費用

原告X3は、被告の債務不履行ないし過失により感染症に罹患し、七月二日から八月二八日までの五八日間、B病院に入院を余儀なくされ、右入院費用五万四三七〇円相当の損害を被った。

(2) 慰謝料

原告X3の右五八日間の入院による慰謝料としては一〇〇万円が相当である。

6  結論

よって、原告らは、債務不履行責任ないし不法行為責任に基づき、被告に対し、(一) 原告X2において、前記5(一)の合計三五四七万九八四七円及び右金額から弁護士費用を控除した三二四七万九八四七円に対する平成七年五月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、(二) 原告X1において、前記5(二)の合計三五三五万八八五七円及び右金額から弁護士費用を控除した三二三五万八八五七円に対する平成七年五月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、(三) 原告X3において、前記5(三)の合計一〇五万四三七〇円及びこれに対する平成七年五月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実のうち、原告X1と原告X2との間に、長男のほか、双胎の第一子である二男と第二子である三男がいたこと、二男は七月四日に死亡したことは認めるが、その余は知らない。

(二)  同1(二)の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3(一)  請求原因3(一)の事実のうち、被告が、一月六日の原告X2の初診の際、同人に対して毎月一回程度診察を受けるように指示し、一月三一日の診察の際、双胎であると診断したこと、原告X2が、五月二四日に被告の診察を受けたことは認めるが、その余は否認する。

被告は、五月二四日の診察の際、原告X2に特段の異常は見られなかったが、双胎であったため、同人に対し、十分注意を要すること、将来子宮口が早期に開いてくるなどすれば、頸管縫縮術を実施する必要があることを一般的事項として説明し、また、次回からは三週間後に来院するよう指示した。

(二)  同3(二)の事実のうち、被告が、六月二六日、原告X2を診察した際、同人に対して、頸管縫縮術を行う必要があること、これは子宮口を縛るだけですぐ終わる手術であること、生まれるまで一日でも長く子宮内に胎児を置いた方が良いことなどを説明した上、手術後三泊入院するだけであるから、身の回りの品を持ってくるように同人に指示したことは認めるが、その余は否認する。

被告は、右の際に、頸管縫縮術の内容について巾着型の財布の口を縫うように子宮口を縫うものであること、胎児のためには早産は良くないこと、胎児を一日でも長く置いて正期産に近い状態で分娩するのが良いことを併せて説明した。

(三)  同3(三)の事実のうち、六月三〇日、被告が、原告X2に全身麻酔をかけ、頸管縫縮術を施行したこと、原告X2が意識を回復した後、腹痛を覚え、巡回中の看護婦にその旨告げたこと、同日午後二時ころ、原告X2が二階の病室に歩いて移動し、同日夕方、看護婦により点滴を受けた後、息苦しさを訴え、酸素吸入を受けたことは認めるが、その余は否認する。

手術後原告X2が覚醒したのは、同日午前一一時ころであった。頸管縫縮術を施行した場合、患者に腹痛等の自覚症状を伴うことはよくあることであり、原告X2においては、同日午後二時ころの時点では腹部緊満感まではなかったため、特に薬の投与等は行わなかった。また、看護婦がナースコールによる呼出の都度原告X2のところに赴き、被告自身も、同日午後五時に回診を行っているのであるから、原告X2を放置していたとはいえない。被告は、右回診の際、腹部緊満感を認めたため、看護婦に指示してウテメリン(子宮収縮抑制剤)の点滴を行ったが、原告X2の訴えた息苦しさは、ウテメリンの副作用によるものと思われる。

(四)  同3(四)の事実のうち、七月一日の夕方、被告が回診を行い、手術の際に詰めていたガーゼを取り出したことは認めるが、その余は否認する。

同日午後二時の体温は37.0度で有熱状態とはいえなかったし、日中の腹部緊満感も、程度及び頻度ともに軽減していた。原告X2の膣内からガーゼを抜去した後、被告は、マーゾニン(消毒薬)を塗布して消毒措置を行った。

(五)  同3(五)の事実のうち、原告X2が七月一日にベッド上で破水した後、歩いて一階の部屋に移動したが、被告が到着するまで一〇分以上経過したこと、被告が原告X2に対して他の病院に行ってもらうと告げ、電話で他の病院と連絡を取り始めたことは認めるが、その余は否認する。

原告X2は、七月二日午前零時二五分に自然破水したが、その際に流出した羊水には混濁もなく、何ら異常がなかった。被告は、原告X2が妊娠三一週という早期の双胎児出産であったため、転医の必要性を告げて直ちに受入先の病院との連絡を取り始めたが、聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院と神奈川県立こども医療センターがいずれも満床で受入れが不可能であり、その後、右西部病院の紹介でB病院の受入れが決まったものである。

(六)  同3(六)の事実のうち、被告がB病院の医師の指示に従い原告X2の頸管縫縮術部位の抜糸を行った後、救急車に同乗して、同病院に原告X2を搬送したことは認めるが、その余は否認する。

被告は、右抜糸の際には、白衣を着用し、外来用手洗いで手指の消毒をして抜糸を行った。なお、抜糸の際に麻酔をかけることは通常必要でなく、抜糸完了後にマーゾニンによる消毒を行っている。救急車が到着したのは、七月二日午前一時四五分で、原告X2の自然破水から一時間二〇分後のことであった。このとき原告X2は原告ら主張のような手術着は着用しておらず、下半身に清浄パットを当て丁字帯をして搬送された。

(七)  同3(七)の事実のうち、原告X2が原告ら主張の日時にB病院で双子を出産したこと、第一子が原告らの主張の日時に死亡したことは認めるが、その余は知らない。

4(一)  請求原因4(一)の事実のうち、被告が原告X2に頸管縫縮術を施行したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同4(二)の事実は否認する。

5  請求原因5の事実は争う。

6  (責任原因に関する積極的主張)

(一) 亡Aの死因は極小未熟児であることに特有の呼吸窮迫症候群による肺出血であり、原告X2及び亡Aの感染症が死因に関与した事実はないから、原告X2に対する頸管縫縮術の術前、術後の措置を含め、右感染症のあることを前提として被告の過誤をいう原告らの主張は失当である。すなわち、亡Aが極小未熟児であるため、いわゆる日和見感染的な感染症を伴っていた可能性もあることは争わないが、原告X2の破水は早期破水であって、前期破水の場合とは異なり、分娩までの時間は短く、原告X2の早産を誘発させたり、敗血症や死亡を来たすような重度の感染症があったとは到底いえない。また、右のような早期破水の際の処置としては、できるだけ早く胎児を娩出することが大切であるとされており、被告は、術前において、原告X2の膣内を消毒薬(ハイアミン)を入れた洗浄液で十分洗浄した後、マーゾニンを塗布し、術後においても、膣内にスルファミン(抗菌剤)を入れ、清潔なガーゼを詰めて適切な消毒処置を行っている。なお、被告医院程度の規模における医療機関の一般的医療水準からすれば、感染徴候や具体的な感染の疑いが認められない本件において、術後に予防的抗生物質を投与することまでは要求されていない。

(二) 原告X2は、頸管縫縮術の施行当時、子宮頸管が軟弱化して短縮(展退)しており、指が一本入る程度に子宮口がいくらか開大して頸管無力症の状態であったから、被告のした頸管縫縮術の手術は、必要かつ相当な処置であったというべきである。また、多胎妊娠における頸管無力症に対する治療としては、頸管縫縮術が基本的に有効な治療方法であり、妊娠三〇週を過ぎた妊婦であっても、これを禁止・断念すべき例外的臨床症状(例えば、発熱、頻脈、子宮の圧痛、羊水の悪臭などの子宮内感染の徴候の出現・悪化、子宮収縮の増強と流産の進行、出血の増加等)がない限り、施行してよいとするのが当時の医療水準であったところ、原告X2について右のような例外的臨床症状は認められなかった。被告は、過去の経験と原告X2の臨床的所見から、頸管縫縮術が有効であると判断してこれを施行したものであって、被告の措置は臨床医師の裁量の範囲内に属する相当な医療行為であるといえるのみならず、当時の原告X2の具体的状況、極小未熟児やこれを出産するリスクの高い妊婦の受入れが非常に困難であるという厳しい周産期医療環境の実態、緊急必要性の存在及び右処置による利益・不利益の比較衡量という観点からも、被告のした判断の相当性は肯定されるべきである。

(三) 仮に、被告が施行した頸管縫縮術について何らかの過誤があるとしても、右手術と、原告X2の陣痛発来、分娩開始、亡Aの呼吸窮迫症候群、肺出血による死亡との間には、何ら法的な相当因果関係は存在しないといわざるを得ない。すなわち、被告のとった手技は、シロッカー法に属するとはいえ、具体的には、膀胱壁と子宮壁の間をわずかに糸が二本通る程度の微小な範囲で切り、そのまま巾着の口様に縫うという手法であって、侵襲的にはマクドナルド法に近いものである。また、術後には子宮収縮抑制剤の投与も適切に行われ、術後経過として一時見られた腹部緊満感も陣痛の発来した七月一日には改善され、落ち着いていることなどからすれば、頸管縫縮術の施行による侵襲や刺激がなくとも、原告X2には、子宮の急激な増大、子宮筋の過伸展によって引き起こされた分娩開始に伴う自然の機序に従い、陣痛、自然破水、早産が生じ、さらに、極小未熟児であることに特有の呼吸窮迫症候群、肺出血による死亡という結果は免れなかった。多胎妊娠の早期予防管理の各種手法につき有効性の評価が未だ確立されていなかった当時において、原告らの主張する入院安静と子宮収縮抑制剤の投与により右の結果が回避されたということもできない。

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  当事者について

1  請求原因1(一)の事実のうち、原告X1と原告X2との間に、長男のほか、双胎の第一子である二男と第二子である三男がいたこと、二男は七月四日に死亡したことは、当事者間に争いがなく、証拠(甲五、八、一九)によれば、その余の事実が認められる。

2  請求原因1(二)の事実は、当事者間に争いがなく、右争いがない事実と証拠(乙一二、被告本人)及び弁論の全趣旨によると、被告は、昭和二八年三月医師国家試験に合格し、川崎市立病院等の産婦人科に勤務して産婦人科の認定医の資格を取得し、昭和四四年三月以降、肩書住所地の自宅に隣接して被告医院を開設していること、平成五年六、七月当時、被告医院には、一階部分に受付、診察室、手術室、レントゲン室、新生児室、待機室等があり、二階部分に病室六室(ベッド数九床)、授乳室、看護婦室、便所等があるが、重症新生児の集中管理室等の十分な看護設備はないことが認められる。

二  診療契約の締結について

請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。

三  亡Aの死亡に至るまでの経緯について

被告が、一月六日の原告X2の初診の際、同人に対して毎月一回程度診察を受けるように指示し、一月三一日の診察の際、双胎であると診断したこと、原告X2が、五月二四日に被告の診察を受けたこと、被告が、六月二六日、原告X2を診察した際、同人に対して、頸管縫縮術を行う必要があるが、これは子宮口を縛るだけですぐ終わる手術であり、生まれるまで一日でも長く子宮内に胎児を置いた方が良いことなどを説明した上、手術後三泊入院するだけであるから、身の回りの品を持ってくるように同人に指示したこと、六月三〇日、被告が、原告X2に全身麻酔をかけ、頸管縫縮術を施行したこと、原告X2が、意識を回復した後、腹痛を覚え、巡回中の看護婦にその旨告げたこと、同日午後二時ころ、原告X2が二階の病室に歩いて移動し、同日夕方、看護婦により点滴を受けた後、息苦しさを訴え、酸素吸入を受けたこと、七月一日の夕方、被告が回診を行い、手術の際に詰めていたガーゼを取り出したこと、原告X2が七月一日にベッド上で破水した後、歩いて一階の部屋に移動したが、被告が到着するまで一〇分以上経過したこと、被告が原告X2に対して他の病院に行ってもらうと告げ、電話で他の病院と連絡を取り始めたこと、被告がB病院の医師の指示に従い原告X2の頸管縫縮術部位の抜糸を行った後、救急車に同乗して、同病院に原告X2を搬送し、原告X2が七月二日午前四時ころB病院で双子を出産したが、第一子(亡A)が七月四日午前一一時四五分に死亡したことは、当事者間に争いがない。以上の争いのない事実と証拠(甲五ないし八、一五、一七ないし一九、乙三、四、一〇、一二、証人乙野五郎、原告X2本人、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1(一)  被告は、一月六日の初診の際、原告X2に対し、今後の診察について指示を与え、以後、毎月一回程度の頻度で被告医院で診察を受けることになったが、同日の診察の結果、妊娠五週六日、分娩予定日は九月二日と診断された。

(二)  一月三一日(妊娠九週三日)、被告が超音波診断装置により診断したところ、双胎妊娠であることが判明した。この際、被告は、原告X2に対し、多胎妊娠の場合には、種々の合併症等が起き易いので、日常生活上も十分注意し、何か変化や異常があればすぐに来院し、なるべく受診回数も多くするように指示した。

(三)  二月二六日(妊娠一三週一日)、三月二四日(妊娠一六週六日)、四月二五日(妊娠二一週三日)及び五月二四日(妊娠二五週四日)に原告X2が受診したが、この間には何らの異常も認められず、順調であった。被告は、原告X2が多胎妊娠であることを念頭に置いて、内診等で子宮口の状態等についても注意して見ていたが、子宮口は閉じており、頸管や膣からの帯下は、性状、量ともに正常であった。

(四)  被告は、五月二四日の診察の際に、原告X2に対し、今のところ異常はないが、何分双胎であり、今後妊娠週数が進むにつれて早産等の危険も、高まるので十分注意して欲しいこと、将来早期の段階で子宮口が開いてくるなどの変化があれば、頸管縫縮術を実施する必要もあることなどを一般的注意として説明した。

(五)  六月二六日(妊娠三〇週二日)の内診により、原告X2に子宮頸管の短縮(展退)が認められ、指先が入るほどではないものの、わずかに子宮口が開いている状態であることが判明した。被告は、他に切迫早産の症状がなく子宮口が開大してきていることから、多胎妊娠によく見られる頸管無力症と診断し、このままでは早産の危険が極めて高く、これを予防して胎児の在胎期間をできるだけ長くするためには頸管縫縮術を行う必要があると判断し、その旨を原告X2に説明した。その際に、頸管縫縮術が子宮口の回りを巾着の口を縫うように縫い縮めるもので、比較的簡単にできる手術であり、入院の予定期間が原則として四日間であることを説明した上、早急に身の回り品を準備して入院するよう指示した。

2(一)  原告X2は、右頸管縫縮術の実施のため、六月三〇日(妊娠三〇週六日)午前九時一〇分、被告医院に入院した。被告は、術前処置として、ハイアミン(消毒薬)を入れた洗浄液で膣洗浄をするとともに、子宮の安静保護、鎮痛を目的としてペチロールファンとプロゲデポー(黄体ホルモン)を皮下注射した後、午前九時四〇分イソゾールにより静脈麻酔をかけ、シロッカー法により、糸で子宮口を巾着様に縫縮する頸管縫縮術を開始し、手術の最後には膣内にマーゾニンの塗布を行い、午前九時五〇分に手術が終了した。

(二)  被告は、原告X2を手術室に隣接する安静室に移して経過を観察することとし、同日午前一一時ころ麻酔から覚醒した原告X2は、腹痛を覚え、巡回中の看護婦にその旨告げ、同日午後二時ころ、時折生理痛様の痛みを感じていたが、腹部緊満感までは認められなかった。被告の指示により、原告X2は、歩いて二階の自己の病室に戻った。

(三)  同日午後五時に被告が手術後の回診を行った際、原告X2に時々子宮収縮による腹部緊満感が見られたので、午後五時四〇分、ウテメリン(子宮収縮抑制剤)の点滴を開始したところ、徐々に腹部緊満感が緩和し、同日夜には落ち着いた。

3(一)  七月一日午前零時から一時ころにかけて、原告X2が吐き気と手足のしびれ、動悸を訴えたので、被告が酸素吸入を施行し、約一時間後には、手足のしびれもほとんど無くなり、吐き気、動悸ともに消失した。

(二)  同日の午前、午後においては、原告X2に特に異常はなく、腹部緊満感も更に改善し、軽度のものが時折ある程度となった。同日午後五時の回診の際、被告は、手術の際に膣内に詰めていたガーゼを抜き取り、消毒措置として同部位にマーゾニンを塗布し、スルファミン(抗菌剤)を入れた。

(三)  その後、原告X2の状態は落ち着いていたが、同日午後一一時ころから腹部緊満感がやや著明となり、同日午後一一時一五分、これまでのウテメリンの点滴を継続するために、ウテメリンの点滴液を追加して経過を観察したが、腹部緊満感は間もなく五分間隔になるなど定期的な子宮緊縮となり、陣痛の発来となった。

4(一)  原告X2は、七月二日午前零時二五分、ベッドの上で自然破水し、看護婦を呼ぶと、一階の手術室まで歩いて移動するよう指示され、一〇分以上経過した後、被告が到着した。

(二)  原告X2を診察した被告は、流出している羊水に混濁等の異常は認められず、五分間隔の陣痛が続いていたため、陣痛発来後子宮口全開前の早期破水と診断した。また、妊娠週数と双胎であることを考え、胎児がかなりの未熟児であることが予測されたので、未熟児の手当てができる医療機関に搬送する必要があると判断して、その旨原告X2に説明するとともに、破水後の処置として、下半身に清浄パットを当てて丁字帯を装着した。

(三)  被告は、まず、聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院と神奈川県立こども医療センターに連絡を取ったが、いずれも満床で受入れが不能であった。その後、右こども医療センターからB病院が受入れ可能であるとの連絡が入り、同日午前一時二〇分ころ、被告がB病院の担当医師に直接連絡を取って、原告X2の状態とこれまでの経過を説明した。

(四)  その際、頸管縫縮術の縫縮糸の抜糸をしておいて欲しいと依頼されたため、被告は、白衣を着用し、手術室並びの診察室の手洗いで手指の消毒を行った上で、麻酔をかけないまま原告X2の抜糸を行い、抜糸後、膣部にマーゾニンを塗布した。

(五)  同日午前一時四五分、搬送用の救急車が到着し、被告は、救急車に原告X2と同乗して、B病院に向かい、約一時間後、同病院に到着して、同病院の新生児集中治療室の当直医師である乙野五郎医師に対し、既に分娩態勢にある原告X2を引き渡した。

5(一)  原告X2は、同病院において、同日午前四時三〇分、双胎の第一児(亡A、体重一四三〇グラム)、同日午前四時三七分、第二児(原告X3、体重一六一八グラム)を出産した。第二児は、出生後間もなく呼吸窮迫症候群の症状が見られたものの、すぐに改善し、その後相当期間特段の異常もなく経過した。

(二)  ところが、第一児は、七月四日午前一一時四五分、極小未熟児(出生体重が一五〇〇グラム未満の新生児)であることに特有の呼吸窮迫症候群が重症化し、肺出血により死亡した。

四  感染症の罹患に関する被告の債務不履行ないし過失について

1  亡Aの直接死因が、極小未熟児であることに特有の呼吸窮迫症候群による肺出血であることは前示のとおりである。ところで、原告らは、まず、被告が、原告X2に対して頸管縫縮術を施行した際、母体膣内の常在菌に対する対処を怠ったため、原告X2に感染症を生じて陣痛を誘発し、その後の破水、抜糸の過程で菌が子宮内に広がり、さらに、胎児の亡A及び原告X3にも感染症を生じさせたものであり、亡Aの呼吸窮迫症候群による肺出血も右感染症に複合して発生したものにほかならないとして、被告の診療契約上の債務不履行ないし医療行為上の過失を主張するので、右感染症の罹患の有無について検討する。

2  前提となる医学的知見について見るに、証拠(乙八、証人乙野五郎、鑑定)によれば、次のとおり認められる。

(一)  感染症とは、身体の組織内への微生物の侵入と増殖の結果、競合的阻害、毒素、細胞内増殖、あるいは抗原抗体反応による局所的細胞阻害を起こすものをいい、免疫学的には、一時的又は長期的に感染微生物の成分あるいはその毒素に対する細胞性応答(遅延型過敏症)又は特異抗体(免疫グロブリン)の産生から成り立っている。そして、直接の死因となり得るような重篤な感染症のある場合には、病理解剖検査又は胎盤の病理検索の際に、ほとんどの場合、確定的な炎症所見、すなわち、白血球の組織内浸潤などが認められる。

(二)  C反応性蛋白(以下「CRP」という。)とは、膠原病、感染症、消化器疾患、心・血管疾患、腫瘍、妊娠、分娩などによって、感染、炎症、組織崩壊が生ずるときに発生する人血清中の蛋白をいい、CRP試験とは、この蛋白を、血清学的方法を用いて患者血清から検出する方法をいう。特に細菌感染症の場合には、CRP試験において、CRPが陽性となる率が高くなる。CRPが陽性と判定されるのは、デシリットル毎1ないし1.5ミリグラム以上とされているが、CRPが陽性になったからといって直ちに感染症と診断できるわけではなく、その他の臨床的な所見と総合的に判断される。具体的には、妊娠、分娩、手術などの個体に対する侵襲やこれらによる組織破壊によって容易にCRPは陽性となるし、CRP産生量の個体差も大きく、一時点の値のみによって感染症の存在又は重症度が推定できるものではないから、CRPは非特異的な感染症マーカーである。

(三)  免疫グロブリンM(以下「IgM」という。)は、CRPよりもはるかに炎症に対する特異性が高いとされている感染症マーカーであり、基準値は、デシリットル毎四〇〇ミリグラムとされている。具体的には、例えば、胎児の出生時に血液IgM値が上昇した場合には、確実に子宮内感染を肯定できるとされている。

3  まず、原告X2の感染症の罹患の有無について判断する。

(一)  分娩前について

乙四によれば、原告X2は、被告医院に入院して頸管縫縮術の施行を受けた日の翌日である七月一日午後二時に、体温が一時的に三七度まで上昇したことが認められる。しかし、原告X2は、六月三〇日午後五時の被告による手術後の回診の際、時々子宮収縮による腹部緊満感が見られたため、午後五時四〇分から子宮収縮抑制剤であるウテメリンを点滴投与され、その後、吐き気と手足のしびれ、動悸などの症状が認められたことは前示のとおりであり、鑑定の結果によれば、これらはウテメリンの副作用の症状であることが認められるから、原告X2の右体温の上昇は、原告X2が分娩前に感染症に罹患していたことの証左とはならない。

(二)  分娩後について

(1) 証拠(甲一五、証人乙野五郎)によれば、原告X2の体温は、分娩直前の七月二日午前二時三五分ころには38.4度まで上昇し、分娩後、午前六時四〇分には37.1度、午前九時には37.3度であったが、午前一〇時一〇分には36.8度となり、以後は七月四日午後に一時的に37.4度に上昇しているほかは、常に37.0度以下であったこと、原告X2には産褥感染症、すなわち、分娩終了後の二四時間以降、産褥一〇日間以内に、二日以上、三八度以上の発熱の続くものが発生していないこと、七月二日には、原告X2の血液のCRP値は、デシリットル毎11.2ミリグラムに上昇したこと、分娩後の子宮収縮は良好であり、後陣痛以外には下腹痛はなく、子宮の圧痛もなく、膿性又は悪臭ある悪露などの悪露性状の変化もなく、産褥性子宮内膜炎を示唆する症状は全くなかったこと、B病院における分娩経過中の胎盤の臨床的所見及び胎盤の病理組織における検査のいずれにおいても、絨毛膜羊膜炎の存在をうかがわせる所見は認められていないこと、同病院の細菌検査の結果、分娩後のX2の膣内容からフェカーリス腸球菌が検出されたことが認められる。

しかし、鑑定の結果によれば、原告X2の右分娩後の体温の上昇は、産婦の分娩時の体動、乳汁の鬱滞などによる生理的なものとして説明できること、CRP値の上昇についても、前記のとおり、CRP値が非特異性の炎症マーカーであり、妊娠などの生理的な理由によって上昇することがあること、フェカーリス腸球菌は、ヒトの消化管、膣内、口鼻腔に常在する細菌であるから、これが原告X2の膣から検出されたとしても、X2に感染症があったということにはならないことが認められる。

(2) 甲一五によれば、七月二日、B病院において、原告X2に対し、メテナリン、ドロビット、ダーゼン、オフタルムK、トミロンが処方されていることが認められる。しかし、鑑定の結果によれば、メテナリンは分娩後の子宮の復旧を助けるための子宮収縮薬、ドロビットは分娩後の後陣痛に対する鎮痛効果を得るための鎮痛消炎剤、ダーゼンは会陰切開部の膨張や乳房における乳汁の鬱滞を防ぐための消炎酵素剤、オフタルムKは母乳を介して新生児の出血傾向を予防するための薬剤、トミロンは分娩後の感染の予防のための抗生剤であって、いずれも通常の褥婦においていわば恒常的に投与されるものであることが認められるから、これらが原告X2の感染症の罹患を前提にして処方されたものということはできない。

(3) 原告らは、被告が原告X2に対し、全身的に予防的抗生物質を投与しておらず、感染症の予防策が不十分であったと主張する。鑑定の結果によれば、抗生物質の予防的投与により感染症の初期症状がはっきりと現れず、このため適切な娩出時期の遅れからくる重篤な感染の危険に胎児をさらすおそれがあり、また、投与により耐性菌を出現させる危険性もあるなどの理由により、医学界においては褥婦に対し抗生物質を予防的に投与することには否定的な見解が存することが認められる。右事実からすれば、被告が原告X2に全身的に予防的抗生物質を投与していないことをとらえて、原告ら主張のように、感染症の予防策が不十分であったとすることはできない。

(4) また、原告らは、被告が原告X2に対し頸管縫縮術を施行する前に膣内菌の検査を実施しなかった点において、感染症の予防策が不十分であったと主張する。しかし、証人乙野五郎は、膣内を洗浄すれば膣内菌はすべて流れ落ちてしまい無意味であるので、頸管縫縮術の実施の直前に膣内菌の検査を実施することは原則としてしないと証言しており、右証言にかんがみると、この点において、被告の措置が不十分であったとすることはできない。

(5) さらに、原告らは、原告X2が、ベッドの上で自然破水した後、応急処置がされないまま、歩いて一階の手術室まで移動させられたことなどから、被告の措置は感染症防止の観点からも適切さを欠いた旨主張する。しかし、原告X2は、定期的な子宮緊縮(陣痛)の発来後に破水しており、分娩まで約四時間しか経過していないことは前示のとおりである。甲一によれば、前期破水、すなわち、分娩開始以前に破水した場合には、妊娠三四週以後の症例では、二四時間以内に分娩された場合には約六パーセント、二四時間を過ぎて分娩された場合には約三〇パーセントの新生児に感染兆候が認められ、破水した状態が長く続けば、母体・新生児に対する感染の機会が増大するが、早期破水、すなわち、分娩開始から子宮口全開大までに破水した場合には、破水後に分娩が進行しない場合に感染の危険が増し、このような場合に前期破水と同様の対応が必要とされているにとどまることが認められる。そうすると、早期破水に当たる本件においては、被告本人が供述するように、一刻も早く胎児を分娩するように務めるのが適切であったと認めることができ、原告ら主張のように、被告の措置が感染症防止の観点からも適切さを欠いたということはできない。

(三)  以上からすれば、前記認定事実のとおり、原告X2について、他に重篤な感染症の罹患をうかがわせる臨床的な兆候が認められない以上、原告X2に感染症が生じていたとしても、極めて軽微なものであったと認めるのが相当であり、右感染症が被告の過誤ある措置に原因するものであることを認めるに足りる的確な証拠はない。

4  亡Aの感染症の罹患の有無

(一)  証拠(甲一〇、乙一〇、証人乙野五郎)によれば、出生当日である七月二日の血液検査において、CRP値はデシリットル毎0.2ミリグラムであり、血液IgM値はデシリットル毎二ミリグラム以下であったこと、病理組織検査において、胎盤の表面はやや混濁しているものの、全般的に異常は認められなかったこと、顕微鏡による検査でも、胎盤及び臍帯に病理学的な異常はなかったことが認められる。右事実及び鑑定の結果によれば、亡Aが子宮内感染に罹患していたということはできない。

(二)  甲一〇によれば、七月三日の亡Aの血液検査において、CRP値がデシリットル毎6.8ミリグラムを示していたほか、亡Aの血液、咽頭及び便からフェカーリス腸球菌が検出されていることが認められる。しかし、亡Aが子宮内感染に罹患していたということはできず、CRP値は前記のとおり非特異的な感染症マーカーであって、鑑定の結果によれば、出生時のストレスが出生後のCRP値の変化を惹起し得ることが認められる。また、フェカーリス腸球菌の検出について、証人乙野五郎は、フェカーリス腸球菌の前記検査は、B病院に原告X2が搬送され分娩した際には実施することができず、分娩後七、八時間後に培養で行った検査であるとも証言している。さらに、証拠(甲一〇、鑑定)によれば、フェカーリス腸球菌は、人体の消化管、膣、口鼻腔に常在する細菌であり、分娩中あるいは分娩後に母体膣内腔、会陰間などから新生児の口鼻腔に移行し、消化管内に嚥下され、生後早い時期に生理的腸内細菌叢を作り、それによって新生児に必要なビタミンKが産生されるなど、生理的意義が深いものの、病理的意義は認められないこと、亡Aの病理解剖検査記録においても、フェカーリス腸球菌が原因となる多臓器機能障害はないことが認められる。これらの事実からすれば、フェカーリス腸球菌が亡Aの死因に影響していたということはできない。

(三)  また、甲一〇によれば一般細菌検査において、七月五日に提出された気管チューブからの細菌培養により亡Aには緑膿菌が検出されていることが認められるが、この緑膿菌が、被告又はB病院のいずれの措置が原因で亡Aに感染したものであるかは明らかでない。しかし、直接死因となるような重篤な感染症のある場合には、病理解剖検査又は胎盤の病理検索の際に、ほとんどの場合、確定的な炎症所見、すなわち、白血球の組織内浸潤などの所見が認められることは前示のとおりであるところ、亡Aについては、甲一〇によれば、病理解剖検査時、肺胞内に炎症細胞浸潤はほとんどなかったことが認められるから、いずれにしても亡Aにその死因に影響する重篤な感染症があったということはできない。もっとも、右病理解剖検査の記録には、臨床的敗血症との記載があるが、亡Aに炎症細胞浸潤がほとんど認められなかったことは前記のとおりであり、同記録にも、病理解剖検査時、はっきりした感染症の所見は得られなかったと記載されていることなどからすれば、右の臨床的敗血症の記載は、鑑定の結果も指摘するように、CRP値ないし血液培養による所見に基づく病理解剖上の習慣から臨床的に付けられた診断名として記載されているにすぎないものと認めるのが相当である。

(四)  そうすると、鑑定の結果がいうように、亡Aは、出生後、極小未熟児で全身免疫力が低下し、鑑定の結果も指摘するいわゆる日和見感染的な感染症(菌血症)を伴っていた可能性は否定できないとしても、亡Aの直接死因である肺出血の主な原因となるような重篤な感染症を生じていたということはできず、この点について被告に診療契約上の債務不履行ないし医療行為上の過失があったとすることはできない。

5  原告X3の感染症の罹患の有無

(一)  甲一七によれば、原告X3のCRP値は、七月二日から七月二六日まではデシリットル毎0.1ないし0.2ミリグラムであり、出生当時の血液IgM値はデシリットル毎二ミリグラム以下であること、胎盤の病理組織所見で絨毛膜羊膜炎の存在は否定されていることが認められる。右事実及び鑑定の結果によると、原告X3が子宮内感染していたということはできない。

(二)  甲一七によれば、七月二日の一般細菌検査において、原告X3の便からフェカーリス腸球菌及び表皮ぶどう球菌が、眼から緑膿菌がそれぞれ検出されていることが認められる。しかし、前記のとおり、原告X3が子宮内感染に罹患していたということはできず、また、右フェカーリス腸球菌等の検出についても、亡Aと同様の理由で、被告のとった措置に起因するものと認めることはできない。

(三)  また、甲一七によれば、七月下旬ころ、原告X3に細菌性右股関節炎及び蜂窩織炎が生じていることが認められるが、これは原告X3の生後二〇日以上経過した後に発症したものであり、証拠(甲一七、鑑定)によれば、これらはB病院における鼡径静脈の穿刺及びこれに続く鼡径静脈の穿孔を原因とするいわゆる医原的感染症によるものと推認されるから、被告の措置が原因で生じたものであるとはいえない。

(四)  四以上のとおり、原告X3についても、被告の過誤ある措置を原因とする感染症の罹患を認めるに足りる証拠はない。したがって、この点につき、被告に診療契約上の債務不履行ないし医療行為上の過失があったということはできない。

五  頸管縫縮術の施行に関する債務不履行ないし過失について

1  前記認定事実及び証拠(甲五、鑑定)によれば、亡Aの死因は、妊娠三二週未満で出生時体重が一五〇〇グラム未満の極小未熟児であることに起因する肺機能不全により、呼吸窮迫症候群と呼ばれる呼吸障害が起き、その後心不全を含む多臓器不全が発生し、さらに心不全のための出血性肺浮腫が惹起され、致命的な肺出血に至ったことであると認められる。ところで、原告らは、亡Aが右のような呼吸窮迫症候群による肺出血に至った原因は、被告が原告X2に対して時期を失した不必要かつ禁忌の頸管縫縮術、しかも母体に対する侵襲が大きいシロッカー法による手術という物理的刺激を加え、手術後、自然破水して側仰安静が必要なはずの原告X2を一階の手術室まで歩いて移動させた結果、原告X2を陣痛開始と分娩に至らせたことによる旨主張するので、この点につき判断する。

2  証拠(甲一ないし四、一一、一二、鑑定)によれば、頸管縫縮術に関する医学的知見として、次のとおり認められる。

(一)  頸管縫縮術とは、子宮頸管、すなわち、子宮頸部の内子宮口から子宮膣部(外子宮口)までの内腔部分を縫縮材料で輪状に縫縮するものであり、大きくシロッカー法とマクドナルド法に分かれる。シロッカー法とは、膀胱壁と子宮壁との間を剥離し、これによって出てきた内子宮口に近い部位で頸管を縫縮するものであり、マクドナルド法とは、シロッカー法のように膀胱壁と子宮壁との間の剥離を行わず、頸管の子宮膣部に近い部位を縫縮するものである。もっとも、術者によって手技には差異があり、同じシロッカー法の中にも、メスの入れ方によって侵襲の度合いは異なり得る。

(二)  頸管無力症とは、明らかな子宮収縮によらず、無症候的に子宮頸管の開大を起こし、胎胞膨隆、前期破水、流早産へと進行する症状であり、妊娠中期から後期、特に妊娠二〇週前後に発生する。主な原因としては、外傷性、先天性、機能性等があるが、原因不明なものも少なくない。このうち、機能性頸管無力症とは、頸管無力症のうち、子宮筋腫、多胎妊娠、羊水過多、子宮頸管炎、絨毛膜羊膜炎などを原因とするものをいう。頸管無力症は、適切な治療を行わないと速やかに流早産に終わり、次期妊娠時にも反復するという特異な経過をたどるが、これに対しては、頸管縫縮術が効果的な外科的治療法として広く行われている。

(三)  頸管縫縮術を施行する場合、いかなる時点においてこれを施行すべきかについては、現在の医学界においても、必ずしも統一的な見解があるわけではなく、(1) 頸管縫縮術は、遅くとも妊娠一八週までに行うべきであるとする見解、(2) 妊娠二六ないし二八週以降は頸管縫縮術の施行は一応禁忌とする見解、(3) 妊娠二八週以降に子宮頸管の開大が現れてから頸管縫縮術を施行した場合、その効果が十分ではないとする見解、(4) 頸管無力症に対する頸管縫縮術の施行の限度は、妊娠二六週までとする見解などがある。また、双胎妊娠を含む多胎妊娠においては、ア 妊娠三〇週ころに切迫早産、頸管無力症の存在の有無を診察し、切迫早産、頸管無力症の存在を認めたときは、場合によっては、妊娠三〇週以降でも、頸管縫縮術を施行しなければならないとする見解、イ 妊娠中期から頸管開大が進む可能性があるから、後期流産や早産を防ぐために、予防的な頸管縫縮術が行われることもあるとする見解、ウ 頸管無力症と診断された多胎妊娠に対して頸管縫縮術を施行することには異論はないとする見解などがある。

(四)  頸管縫縮術には、合併症として、感染、破水、膀胱損傷、血腫、壊死などがあり、感染が卵膜に波及して破水することも少なくないとされる。さらに、(1) 子宮内感染の兆候が悪化した場合(発熱、母体又は胎児の頻脈、子宮の圧痛、羊水に悪臭又は黄色が認められる場合など)、(2) 子宮収縮の増強と流産の進行が認められる場合(子宮収縮抑制剤に反応しない場合など)、(3) 出血の増加がある場合(絨毛膜下血腫の増大、胎盤剥離の疑われる場合など)には、頸管縫縮術の施行は禁忌とされる。また、妊娠二八週以降に頸管縫縮術を行うことができるとする見解であっても、子宮頸管の開大が現れてから頸管縫縮術を施行した場合には、その効果は十分ではないとされる。

(五)  一般に、流早産、満期産、早期破水の発生機序は、次のように説明される。まず、子宮筋の過伸展、細胞増殖、炎症、機械的損傷、異物などの刺激によって、脱落膜マクロファージ、線維芽細胞、好中球遊走、好中球の脱顆粒などが発生し、炎症様反応が起こる。その結果として、中間物質であるサイトカインが分泌され、これにプロゲステロン分泌の消退や胎児側因子などによる妊娠維持機構の後退によってりん脂質の加水分解や遊離アラキドン酸の放出がもたらされる。次いで、脱落膜、羊膜、絨毛膜の炎症様反応によってプロスタグランジンの産生がもたらされ、子宮筋層に細胞接合部位が新生されたり、カルシウムの細胞内流出が起こる結果、子宮頸管が成熟(軟化)して、子宮収縮(陣痛)が発来し、流早産、満期産、早期破水に至る。脱落膜の炎症様反応は、蛋白分解酵素の放出や、内因性膠原分解酵素の刺激をもらたし、子宮頸管の膠原を分解し、子宮頸管の成熟(軟化)並びに破水を引き起こす。

3  以上の事実を前提にして、頸管縫縮術の施行に関する被告の債務不履行ないし過失について検討する。

(一)  前記認定事実によれば、原告X2は、一月六日、被告における初診時に妊娠五週六日と診断され、一月三一日(妊娠九週三日)には双胎妊娠であることが判明した後、一か月に一回くらい被告の診察を受け、この間には何らの異常も認められず順調であったが、六月二六日(妊娠三〇週二日)の内診により、子宮頸管の短縮(展退)が認められ、指先が入るほどではないものの、わずかに子宮口が開いている状態であることが判明したところから、被告は、頸管無力症と診断して、六月三〇日(妊娠三〇週六日)、被告医院において原告X2に対する頸管縫縮術を施行した。ところが、約三八時間後の深夜に原告X2が自然破水し、急きょ、B病院に搬送され、破水から約四時間後に双胎の第一児の亡Aを出産したが、二日後に亡Aが極小未熟児であることに起因する呼吸窮迫症候群、肺出血により死亡した。なお、この間、原告X2は、被告医院で右のように自然破水した後、原告ら主張のように、被告の指示により、そのまま一階の手術室に歩いて移動している。

(二)  頸管縫縮術の施行時期について、遅くとも妊娠一八週までに行うべきであるとする見解、妊娠二六ないし二八週以降は一応禁忌とする見解、妊娠二八週以降に子宮頸管の開大が現れてから頸管縫縮術を施行した場合、その効果が十分ではないとする見解、頸管無力症に対する頸管縫縮術の施行の限度は、妊娠二六週までとする見解などがあり、頸管縫縮術には、合併症として、感染、破水、膀胱損傷、血腫、壊死などがあり、感染が卵膜に波及して破水することも少なくないとされていることは前示のとおりである。鑑定の結果によれば、本件において、妊娠三六週まで入院して安静にし、子宮収縮抑制剤を投与して妊娠期間をできるだけ延ばすことにより早産を防止するという選択肢もあったこと、子宮頸管の手指による刺激によっても分娩を誘発する可能性があることを指摘する成書の記述もあることが認められる。頸管縫縮術の施行当時、原告X2は妊娠後三〇週六日を経過し、しかも双胎であったから、右手術による母体に対する侵襲も相対的に大きなものとなっていたと考えられるが、被告は、原告X2に対して、頸管縫縮術が子宮口の回りを巾着の口を縫うように縫い縮めるもので、比較的簡単にできる手術であり、入院の予定期間が原則として四日間であることを説明したにとどまっている。

また、証人乙野五郎は、頸管縫縮術を施行しないよりはこれを行った方がよいとしても、施行時期が遅ければ遅いほど、侵襲の程度は大きくなり、効果も小さくなるので、妊娠三〇週以降に頸管縫縮術を施行したことは、症例としては一〇〇例のうち約五、六例のみであり、双胎の妊娠三〇週以降の妊婦に頸管縫縮術を施行したことはなく、被告の措置は極めて異例である旨証言し、救急で飛び込んできた患者について、双胎の妊娠二七週を経過した妊婦に頸管縫縮術を施行したことがあるが、これは効果に疑問があったものの、そのことを妊婦らに説明した上で行ったものであり、妊娠初期から自ら管理している妊婦については、早産を防ぐための優れた薬も存在しているから、このように遅い時期に頸管縫縮術を施行することはないと証言している。また、手術後に破水してから原告X2が歩いて移動した点について、証人乙野五郎は、頸管縫縮術の一般的な合併症として感染症があるので、手術後は安静を原則とし、移動させるとしても車椅子で移動させ、歩いて移動させることはない旨証言している。

さらに、被告は、その本人尋問において、原告X2に対する頸管縫縮術の施行を決断した要因として、原告X2には、当時三歳になる長男がおり、その世話などを考えれば、患者の生活の利益(クオリティ・オブ・ライフ)の観点から、鑑定の結果も指摘する選択肢、すなわち、妊娠三六週まで入院して安静にし、子宮収縮抑制剤を投与して妊娠期間をできるだけ延ばすことにより早産を防止するという選択肢をとるよりも、頸管縫縮術を施行することによって入院期間を短縮することの方が、手術による一定程度のリスクを考慮しても、望ましいと判断した旨供述する。原告X2本人の本人尋問の結果によると、原告X2は、被告医院に入院したわずかの期間にも、自宅に残してきた長男のことが気になり、時計を気にして頻繁に自宅に電話連絡し、長男も連日のように原告X2の病室に来ていたことが認められ、幼い長男と母親である原告X2にとって、原告X2の長期の入院が負担となり得たことは推測するに難くはない。また、被告本人は、妊婦が三〇週の早産で新生児を分娩したとしても、被告医院では看護することができず、未熟児の受入れ、看護は、被告医院を含む神奈川県下全域において困難な状況にあり、看護設備のある医療機関が未熟児の新生児の受入れを拒否することも珍しくない状況であったため、被告としては、一日でも長く在胎期間を延ばすことを重視したとも供述し、被告医院(ベッド数九床)には重症新生児の集中管理室等の十分な看護設備がないことは前示のとおりであり、未熟児の受入れ、看護に関する神奈川県下全域の医療環境が右のような困難な状況にあることは、乙一三の1、2からも裏付けられている(神奈川県産科婦人科医会の平成七年度の調査によれば、横浜市では、新生児の受入れ拒否が五〇パーセントに上り、医療機関自らが受入れ先を探したものが七〇パーセント以上に達している。)。しかし、原告X2は、その本人尋問において、三歳の長男の世話は自宅で仕事をしている夫や近所に居住している実家の両親の協力を得て十分可能であったし、危険のある手術であることを知らされていれば、少しでも安全な方法を選択していたと思う旨供述している。原告X2は双胎であり、頸管無力症であって、頸管縫縮術の施行時期から見て絶対的な効果を期待できない状況にあった以上、被告としては、あらかじめ原告X2の早産を予測して万一の事態に備えることができたとも考えられ、この点に関する被告の措置が適切であったかは疑問の余地がある。

(三)  こうしてみると、被告が、原告X2に対する頸管縫縮術の施行及びその後の措置について、いささか安易に考えていたのではないかとの疑いは、にわかに払拭し難く、原告ら主張のように、頸管縫縮術ないしその後の措置が、亡Aの死亡という最終の結果の原因となったのではないかと疑うことも、一応、無理からぬところであり、鑑定の結果も、本件において、頸管縫縮術の施行及びその後の被告の措置が、原告X2の陣痛発来、分娩開始の引き金の一部になったことは否定できないと指摘している。

4  しかしながら、

(一) 医療過誤訴訟における医師の過失とは、当該医師が、その属する専門領域における通常一般の医師を基準にした診療当時における一般的な医療水準、すなわち、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に照らして要求される診療上の注意義務に違反することである。具体的事件における医療水準は、当該事件に即して合理的に定立すべきものであって、医学上の文献に明記されているとは限らないし、また、これに記載されている具体的な治療指針をそのまま採用しなければならないものでもない。過失が肯定されるためには、結論として、医師が具体的に発生した患者の死亡等の、最終的な結果についての回避義務に違反したという判断を経ることが必要であり、地域性、専門性、医療機関の性質・規模等に応じ、当該医師の属する専門領域における通常一般の医師を基準にした診療当時における一般的な医療水準に照らし、結果の回避可能性があり、かつ、回避義務を課することに社会的相当性があることを審査する法的価値判断にほかならない。実際の認定及び判断に当たっては、患者に発生した最終的な結果が生じた原因は何かを因果関係を遡って検討し、その因果関係の一過程における結果についての医師の回避義務の有無を吟味することになる。

(二)  被告が、原告X2に対して頸管縫縮術を施行することになったのは、前記認定のとおり、六月二六日(妊娠三〇週二日)の内診により、原告X2に子宮頸管の短縮が認められ、指先が入るほどではないものの、わずかに子宮口が開いている状態であることが判明し、他に切迫早産の症状がなく子宮口が開大してきていることから、被告において、多胎妊娠によく見られる頸管無力症と診断し、このままでは早産の危険が極めて高く、これを予防して胎児の在胎期間をできるだけ延ばすためには頸管縫縮術を行う必要があると判断したことによる。被告本人によれば、被告が右時点における子宮頸管の短縮を認めたのは、当時一般に行われていたとおり、原告X2の子宮頚部のうち膣内に突出している子宮膣部(外子宮口)を触診して、子宮膣部の消失度により子宮頸管の短縮度を判定した結果に基づくものであり、乙三によれば子宮底長は三〇センチメートル、腹囲は九〇センチメートルと妊娠末期に相当する程度に急激に増加しているのに、明らかな子宮収縮(陣痛)がなかったことから、被告は頸管無力症と診断したことが認められる。そして、鑑定の結果からも、右の診断は適切であったということができるところ、頸管無力症は、適切な治療を行わないと速やかに流早産に終わり、次期妊娠時にも反復するという特異な経過をたどるが、これに対しては、頸管縫縮術が効果的な外科的治療法として広く行われていることは前示のとおりである。

(三)  ところで、頸管縫縮術の施行の時期については、医学界においても定まった見解がないこと、双胎妊娠を含む多胎妊娠においては、妊娠三〇週ころに切迫早産、頸管無力症の存在の有無を診察し、切迫早産、頸管無力症の存在を認めたときは、場合によっては、妊娠三〇週以降でも、頸管縫縮術を施行しなければならないとする見解、妊娠中期から頸管開大が進む可能性があるから、後期流産や早産を防ぐために、予防的な頸管縫縮術が行われることもあるとする見解、頸管無力症と診断された多胎妊娠に対して頸管縫縮術を施行することには異論はないとする見解などがあることは前示のとおりである。証人乙野五郎も、頸管無力症の妊婦の場合、妊娠末期においては一日でも二日でも出産を遅らせることが重要であり、胎児を診察してある程度保存できそうだという臨床的な所見を得られた場合には、頸管縫縮術を施行しないよりはこれを行った方がよいと証言している。また、妊娠後期の妊婦についてこれを適切でないとする見解があることは前示のとおりであるが、鑑定の結果によれば、この見解は、妊娠後一定の週数が経過した場合には、早産であっても施設によっては未熟児の予後が良好であるので、この段階で実効性に疑問のある頸管縫縮術をあえて施行することは適切でないとの考え方に依拠しているように思われる。しかし、未熟児の受入れ、看護は、被告医院を含む神奈川県下全域において困難な状況にあり、看護設備のある医療機関が未熟児の新生児の受入れを拒否することも珍しくなく、横浜市では、平成七年度の調査において、新生児の受入れ拒否が五〇パーセントに上り、医療機関自らが受入れ先を探したものが七〇パーセント以上に達していることは前示のとおりである。そうとすれば、被告医院のように、未熟児の十分な看護設備を有しない施設においては、頸管縫縮術を施行して、一日でも在胎期間を延ばすべきであるという考え方もあながち不合理であるとは断定し難い。

(四)  被告が、川崎市立病院等の産婦人科に勤務して産婦人科の認定医の資格を取得した後、昭和四四年三月以降、肩書住所地で産婦人科医院を開設していることは前示のとおりであり、証拠(乙一二、証人乙野五郎、被告本人)によれば、被告は、これまでに一五四例の頸管縫縮術の施行経験を有し、妊娠後期に実施したものも相当程度に上り、かつ、双胎の妊娠後期の妊婦に施行したことも数例あり、いずれも良好な成績を上げていること、被告は、こうした経験にかんがみ、原告X2に対し頸管縫縮術を施行したが、通常のシロッカー法が膀胱壁と子宮壁との間を二、三センチメートルほど剥離する手技をとるのに対し、原告X2に対しては、シロッカー法といっても、膀胱壁と子宮壁との間を約一センチメートルしか剥離しない方法によっているのであり、この方法は、手技的にはマクドナルド法に近く、手術時間も一〇分ほどであり、侵襲の度合は通常のシロッカー法に比べて小さいものであったことが認められる。

また、右頸管縫縮術の施行の当時、頸管縫縮術を禁忌とする症状、すなわち、子宮内感染の兆候の悪化(発熱、母体又は胎児の頻脈、子宮の圧痛、羊水の悪臭又は黄色など)、子宮収縮の増強と流産の進行(子宮収縮抑制剤に反応しない場合など)、出血の増加(絨毛膜下血腫の増大、胎盤剥離の疑われる場合など)が原告X2にあったことを認めるに足りる証拠はない。

さらに、被告は、五月二四日(妊娠二五週四日)の検診時には原告X2の子宮口の開大を認識していたのであるから、頸管縫縮術を施行するとしても、少なくとも二八週以内という適切な時期に手術を施行できたはずであると主張し、原告X2本人は、右主張に沿う供述をしているが、乙三には、右の時点において被告が子宮口の開大を認識していたことを示す記載はなく、甲八の該当部分の記載も、右主張事実を裏付けるに足りず、他に、これを認めるに足りる証拠はない。

(五)  証拠(甲八、一九、乙三、原告X2本人、被告本人、鑑定)によれば、原告X2は、長男を平成元年八月に出産しているが、頸管無力症の既往はなく、外傷性又は先天性の頸管無力症を疑う所見もなかったこと、六月二六日(妊娠三〇週二日)の被告医院での内診当時、原告X2には急激な子宮底長及び腹囲の増加が見られ、このため子宮筋が急に過伸展され、流早産・分娩に至る過程で通常一般に見られる中間物質の作動が発生し、明らかな子宮緊縮(陣痛)が見られないまま、無症候的に内子宮口の開大が起こり、子宮頸管が短縮し、機能性の頸管無力症を発症させたことが認められる。こうした頸管無力症は、適切な治療を行わないと、明らかな子宮収縮によらず、無症候的に子宮頸管の開大を起こし、胎胞膨隆、前期破水、流早産へと進行することは前示のとおりであるが、流早産、満期産、早期破水に関する前記のような発生機序に照らし、鑑定の結果を併せ考慮すると、本件において、原告X2が陣痛を発来し分娩を開始するに至った主因は、原告X2の双胎妊娠による子宮筋の過伸展であり、具体的には、双胎妊娠による子宮の増大及びその増大速度の大きさが母体の負荷となり、それに伴う随伴症状としての子宮頸管の短縮、陣痛の開始、破水(卵膜の破綻)が連鎖反応を引き起こして、頸管無力症の発症、それに引き続く早産の開始を招いたものと認められる。

そして、妊娠の後期における頸管縫縮術の効果について医学界において疑問が呈されていることを併せ考えると、鑑定の結果がいうように、本件は頸管縫縮術の十分な効果が得られないまま、原告X2に頸管無力症に引き続く早産が発生したものであって、頸管縫縮術の施行は原告X2の陣痛の発来、分娩の開始の主因を成すものではなく、その間の発生機序の進行は、被告にとって、当時、これをうかがい知ることはできないものであったと認めるのが相当である。

この点について、鑑定の結果によれば、子宮頸管炎や胎児の胎便の漏出などにより、右のような経過をたどらずに破水し早産することも考えられるとし、子宮頸管炎があれば、子宮口付近で卵膜の脆弱化を招いて破水を起こすことがあり、また胎児の胎便漏出があれば、高位破水(子宮口又は胎児先進部よりも高い部位で卵膜が破れる破水)を起こすことがあるとされている。しかし、他方において、鑑定の結果によれば、甲一〇、一五により認められる亡Aの出生の経過からすれば、原告X2の自然破水は子宮口付近の破水とは認められず、また、同じく甲一五によれば、羊水は血液が混在していたため褐色を呈していたものの、胎便による羊水混濁はなく、卵膜や臍帯の黄染などの着色もなかったので、胎児の胎便漏出による高位破水でもなかったことが認められるのであるから、前記認定及び判断を左右するに足りない。

(六)  さらに、原告X2は、被告医院で自然破水した後、看護婦の指示により、一階の手術室まで歩いて移動しているところ、原告らは、右の点も、頸管縫縮術による物理的刺激と並んで、原告X2を陣痛開始と分娩に至らせ、ひいて、亡Aを呼吸窮迫症候群による肺出血に至らせた原因である旨主張し、証人乙野五郎は、前記のとおり、右主張に沿うかのような証言をしている。しかし、被告が原告X2に対して施行した頸管縫縮術は、シロッカー法といっても手技的にはマクドナルド法に近く、手術時間も一〇分ほどであり、侵襲の度合は通常のシロッカー法に比べて小さいものであったことは前示のとおりであり、鑑定の結果によれば、頸管縫縮術は、入院加療が厳格な米国においては、妊婦は外来処置により施行を受け、手術の当日に帰宅させられていること、我が国においても、特に、マクドナルド法にあっては、右と同様の手法をとっている医師も現に存在することが認められるから、鑑定の結果も指摘するように、原告らの主張を採用することはできない。

(七)  また、原告らは、被告が、頸管縫縮術を施行するに当たっては、単胎妊娠の場合よりも慎重な事前の措置、すなわち、人工呼吸器等の施設のある大きな病院を紹介するとか、右のような病院に事前に連絡をして問題が生じた場合には直ちに搬送できる体制を整えるなどの措置を講ずるべきであるのに、これをすることなく漫然と右手術を施行したと主張する。しかし、原告X2は頸管縫縮術の施行時において既に頸管無力症となっており、頸管縫縮術の十分な効果が得られないまま、原告X2に頸管無力症に引き続く早産が発生したものであって、頸管縫縮術の施行は原告X2の陣痛の発来、分娩の開始の主因を成すものではなく、その間の発生機序の進行は、被告にとって、当時、これをうかがい知ることはできないものであったことは前記の認定及び判断のとおりであるから、原告の右主張も採用することはできない。

(八) 以上に検討した諸般の事情を前記3の諸事情と彼此対照し、これらを総合勘案するとともに、地域性、専門性、医療機関の性質・規模等に応じ、被告の属する専門領域における通常一般の医師を基準にした診療当時における一般的な医療水準に照らして考えると、原告X2に対する頸管縫縮術の施行及びその後の措置につき、当時において、被告に亡Aの死亡という最終の結果について回避可能性があり、かつ、回避義務を課することに社会的相当性があったということは困難であるから、右の点につき、産婦人科の臨床医師として被告に、診療契約上の債務不履行があったということはできないし、医療行為上の過失があったとすることもできない。

六  結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠原勝美 裁判官板垣千里 裁判官弘中聡浩)

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